1. はじめに:なぜ改修時の感染対策が重要なのか
医療施設における感染対策は、日常の診療業務において最も優先されるべき事項の一つです。しかし、施設の老朽化に伴う修繕や、最新設備導入のための改修工事が行われる際、その重要性はさらに跳ね上がります。なぜなら、工事によって壁を壊したり天井を剥がしたりする際、普段は隠れているカビ(真菌)の胞子、特に「アスペルギルス」などが粉塵と共に飛散し、免疫力の低下した患者様に深刻な影響を及ぼす恐れがあるからです。
改修工事特有の感染リスクとは
医療現場における改修時のリスクは、大きく分けて「物理的リスク」と「生物学的リスク」の2種類があります。
- 物理的リスク: 工事に伴う騒音、振動、そして大量の粉塵です。これらは患者様の安静を妨げるだけでなく、気管支への刺激となります。
- 生物学的リスク: 壁内や空調ダクト内に蓄積された微生物の飛散です。特に工事で発生する塵に付着した真菌類を吸い込むことで、日和見感染症を引き起こすリスクが高まります。
安全で清潔な環境を維持することは、医療現場にとって最も重要な使命の一つです。特に施設の改修時には、これらの予想外の感染リスクが顕在化しやすく、この段階での対策の適切性が問われることになります。
対策の全体像
改修時における感染対策は、最初にリスク評価から始まります。改修計画が立ち上がる段階で、感染症の予防と管理を重点的に検討することが求められます。具体的なステップとしては、改修エリアを明確にし、患者や医療従事者が容易に移動できる動線を確保しつつ、必要に応じて物理的なバリアによる隔離措置を取ることが挙げられます。
これに加え、施設が持つ換気システムの性能も改めて見直す必要が出てきます。空気の循環の良し悪しが病原菌の拡散を左右しますので、HEPAフィルターの導入や専用の換気ダクトを設けるなどして、空気の流れを適正化する方策が推奨されます。また、改修作業中は埃や微生物が活動的になるため、清掃および消毒のプロセスを通常以上に強化する必要があります。
2. 改修時のリスク評価と計画:ICRA(建設・改修時感染対策リスク評価)の活用
改修時における感染対策の重要性は、医療施設にとって最も優先すべき課題の一つです。無計画な工事は、院内感染の引き金となりかねません。そこで世界的に推奨されているのが「ICRA(Infection Control Risk Assessment:建設・改修時感染対策リスク評価)」というフレームワークです。
リスク評価の4つのステップ
しっかりとしたリスク評価と計画を行うためには、以下のプロセスを具体化する必要があります。
- 工事種別の分類: 軽微な点検(クラスA)から、大規模な解体・新築(クラスD)まで、工事の規模を分類します。
- 患者リスクグループの特定: 工事エリア周辺の患者様が、健康な方(低リスク)なのか、移植後や化学療法中の方(高リスク)なのかを判定します。
- 予防策クラスの決定: 工事種別と患者リスクを組み合わせ、必要な予防策レベルを決定します。
- 具体的な実施項目の策定: 決定したレベルに基づき、養生の徹底やHEPAフィルター付き陰圧装置の設置などを計画します。
物理的な隔離と動線の確保
初期段階から感染予防を考慮することで、改修による予期せぬトラブルを回避しやすくします。最初に取り組むべきは、改修エリアの特定です。工事現場を完全に密閉するための防塵フェンスや、天井裏まで隙間なく覆うプラスチックシートによる養生が必須です。
そして、患者様や医療従事者の動線を確保することが重要です。工事車両や作業員が患者様と接触しないよう専用の搬入路を設けたり、工事で使用するエレベーターを限定したりする措置を講じます。また、隔離措置の検討も必要です。特に感染症を引き起こす可能性のある作業や、特殊なクリーンルームが必要とされる場合については、隔離措置を講じることで感染拡大を物理的に遮断します。
さらに、このような物理的な対策だけでなく、情報の透明性も計画に含まれるべきです。いつ、どこで、どのような工事が行われるのかを掲示し、スタッフ全員が状況を把握できるようにします。
3. 換気システムと清掃の強化:目に見えない粉塵と病原体を制御する
医療施設の改修において、換気システムの見直しと清掃、消毒の強化は、目に見えない脅威を封じ込めるための非常に重要なステップです。
空調・換気システムの最適化
改修時には職場環境の安全性を確保するため、適切な空気の流れ(気流)を確立することが必要不可欠です。病院内の病原菌やウイルスの拡散を防ぐ最も効果的な方法は「陰圧管理」です。工事エリア内の気圧を周囲より低く保つことで、工事エリアの空気が外部へ漏れ出さないようにします。
- HEPAフィルターの設置: 排気口には高性能なHEPAフィルターを設置し、塵や微生物をキャッチします。
- 専用換気ダクトの活用: 既存の空調システムに粉塵が逆流しないよう、工事専用の排気経路を設けることが理想的です。既存ダクトを利用する場合は、工事前に遮断し、終了後に徹底したダクト清掃を行う必要があります。
清掃と消毒プロセスの極大化
改修中は特に埃や細菌が発生しやすくなります。目に見えるゴミだけでなく、ミクロの単位での清掃が求められます。
- HEPA掃除機の使用: 一般的な掃除機では微細な粉塵を排気から再飛散させてしまうため、必ずHEPAフィルター付きの掃除機を使用します。
- 水拭きの徹底: 乾いたモップや箒での清掃は粉塵を舞い上げるため、湿式清掃(水拭き)を基本とします。
- 工事後の環境モニタリング: 改修後、患者様を入室させる前に、空気中の粉塵濃度や真菌(カビ)の培養検査を行い、安全基準を満たしているか確認することが推奨されます。
また、ICT(感染対策チーム)を組織し、日々の業務や改修作業を抜き打ちで監視(ラウンド)することも有効です。現場の清掃状況をチェックし、問題があれば即座に是正を求める体制を整えましょう。
4. 人材の教育と非常時対応計画:現場の一体感でリスクを封じ込める
ハード面(設備)の対策が完璧でも、ソフト面(人間)の意識が低ければ、感染対策の網は容易に破綻します。医療施設の改修時には、スタッフ教育と万全の体制構築が不可欠です。
すべての関係者を対象とした教育
感染対策の重要性について、医療従事者だけでなく「工事に携わる外部の作業員」にも周知徹底させることが重要です。工事関係者は医療のプロではないため、なぜこれほど厳重な養生が必要なのかを理解していない場合があります。
- 事前オリエンテーション: 工事開始前に、感染管理認定看護師などから作業員へ、病院の特殊性と守るべきルールについてレクチャーを行います。
- 定期的なトレーニング: 医療スタッフ向けには、工事期間中の異常な気流や騒音、患者様の容態変化に対する注意喚起を行うプログラムを設定します。
非常時対応計画の策定
「想定外」をなくすために、非常時対応計画(BCP的な視点)の策定も無視できません。例えば、以下のような事態への備えが必要です。
- 配管破裂や浸水: 工事ミスにより水漏れが発生した場合、そこからカビが発生するリスクがあります。迅速な乾燥と消毒の手順を明文化しておきます。
- 感染者の発生時: 万が一、工事エリア周辺で真菌感染症などが疑われる患者様が発生した場合、直ちに工事を中断し、原因を究明するためのプロトコル(手順書)を準備します。
- マニュアルの可視化: 感染者の隔離方法や二次感染防止策、緊急連絡網などを、誰もがすぐに確認できる場所に掲示・共有しておきます。
これらの対策は、患者およびスタッフの健康を守るために欠かせません。医療施設の運用に携わるすべての人が、共通の目的意識を持つことで、改修中の感染リスクを最小限に抑えることが可能になります。
5. まとめ:安全な改修が医療の質を担保する
医療施設の改修に伴う感染対策は、単なる「工事の付随作業」ではなく、立派な「医療行為の一環」であると捉えるべきです。改修作業は、本来であれば患者様に提供されるべき「療養環境」を一時的に脅かす行為だからです。
本記事で解説してきた通り、改修時の感染対策には以下の3つの柱が重要となります。
- 事前計画(ICRA): 工事の規模と患者リスクを冷静に分析し、科学的根拠に基づいた対策を練ること。
- 物理的制御: 換気システムや陰圧管理、HEPAフィルター付き設備の導入、そして徹底した湿式清掃により、粉塵と微生物を封じ込めること。
- 人的管理: 外部作業員を含む全員への教育と、非常時に即応できるマニュアルの整備を怠らないこと。
改修に伴う感染対策は、事前計画に基づく適切なプロセス管理が鍵となります。これに従うことで、安全で清潔な医療環境を維持し、患者様やスタッフの健康を確実に守ることができます。感染対策は、信頼される医療サービスを提供し続けるための基本的な柱であり、一時的な工事であっても決して妥協してはならない取り組みです。


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