病院の建て替えやリノベーション工事は、医療機能の向上に不可欠ですが、同時に目に見えない大きなリスクを孕んでいます。それが、空気中に飛散するカビの胞子、「アスペルギルス」による真菌感染症です。
アスペルギルスは、健康な人には無害であっても、免疫力が低下している入院患者さんにとっては「死に至る病」を引き起こす極めて危険な存在です。2026年現在、医療現場の安全基準はより厳格化しており、建設現場での粉塵管理(ダストコントロール)は単なるマナーではなく、医療安全の根幹を支える義務となっています。
本記事では、アスペルギルス症の基礎知識から、建設現場での具体的な粉塵抑制テクニック、作業員教育の重要性まで、初心者の方にも分かりやすく解説します。
1. アスペルギルス症とは:医療施設で最も警戒すべきカビ
アスペルギルス症(Aspergillosis)は、自然界の至る所に存在する糸状真菌(カビ)の一種である「アスペルギルス属」を吸い込むことで発生する感染症です。
アスペルギルスの生態と生息場所
アスペルギルスは、土壌、ほこり、古い建材、腐敗した植物などに広く分布しています。その胞子は非常に小さく(2〜3μm)、一度空気中に舞い上がると長時間浮遊し続け、エアコンのダクトや建物の隙間を通じて遠くまで運ばれる特性を持っています。
なぜ病院建設でリスクが高まるのか
通常、これらの胞子は健康な人の免疫機能によって排除されます。しかし、病院には以下のような「ハイリスク患者」が多く入院しています。
- 血液疾患患者: 白血病などで抗がん剤治療を受けている方。
- 移植患者: 骨髄移植や臓器移植後、免疫抑制剤を服用している方。
- 呼吸器疾患患者: 肺に基礎疾患があり、防御機能が低下している方。
建設工事における解体や壁の破壊、天井裏の作業は、蓄積された数十年分のアスペルギルス胞子を一気に大気中へ放出させるトリガーとなります。これが院内に侵入し、肺で増殖することで、重篤な肺炎(侵襲性肺アスペルギルス症)を引き起こすのです。
2. 病院建設現場における粉塵の危険性:二次被害を防ぐ視点
建設現場から発生する粉塵は、単に「汚い」だけではありません。それは目に見えない微生物の「運搬車両」としての役割を果たします。
リノベーション・解体時の胞子拡散
新しい病院の建設だけでなく、既存病棟の隣で行われるリノベーション工事は特に危険です。古い断熱材や石膏ボードの裏、空調ダクトの周囲には、長年の湿気で増殖したカビが潜んでいます。工事の振動や破壊行為によってこれらが微細な粉塵とともに飛散し、目に見えない「汚染雲」となって院内へ流れ込みます。
医療設備への影響
粉塵は人間だけでなく、精密な医療機器(MRI、CT、人工呼吸器など)の故障原因にもなります。また、無菌室(クリーンルーム)のHEPAフィルターを早期に目詰まりさせ、病院全体の感染防御機能を低下させる二次被害も無視できません。
3. 粉塵管理の具体的テクニック:現場で実践すべき3つの柱
アスペルギルス症を予防するためには、粉塵を「発生させない」「広げない」「取り除く」という3段階の管理が必要です。
① 発生抑制:湿式作業の徹底
粉塵対策の基本は「濡らすこと」です。乾燥した建材は驚くほど容易に胞子を飛散させます。
- 散水と噴霧: 解体時に高圧洗浄機やミスト噴霧器を使用し、粉塵を水滴に付着させて重くし、地面に落とします。
- 湿式カッターの使用: コンクリートや石材を切断する際は、必ず水を作業箇所に供給しながら行います。
② 拡散防止:物理的封じ込め(アイソレーション)
作業エリアを完全に隔離し、他の病棟への流出を阻止します。
- バリアの設置: 仮設の防火壁や、厚手のプラスチックシート(養生シート)を隙間なく貼り巡らせます。特に天井裏の隙間は見落としやすいため、厳重なシーリングが求められます。
- 負圧管理: 作業エリア内の気圧を外部より低く保つ「負圧機」を設置します。これにより、万が一シートに隙間があっても、空気は外から中へ流れ、汚染された空気が外へ漏れ出すのを防ぎます。
③ 除去:高度な換気・ろ過システム
「HEPAフィルター付負圧排気装置」を導入し、現場の空気を強力に吸引・ろ過します。0.3μmの粒子を99.97%以上カットできるHEPAフィルターを通すことで、アスペルギルスの胞子を確実にキャッチし、清浄な空気のみを外部へ排出します。
4. 作業員への教育と個人用防護具(PPE)の使用
高度な設備を導入しても、現場で働く作業員がその目的を理解していなければ、安全は保たれません。
専門的な教育プログラムの実施
作業員に対し、「なぜここでは特別な粉塵対策が必要なのか」を教育します。「隣の病棟には命を懸けて病気と戦っている患者さんがいる」という社会的背景を共有することで、対策の遵守率が飛躍的に向上します。
PPE(個人用防護具)の徹底
作業員自身の健康を守るためにも、以下の装備は必須です。
- 呼吸用保護具: N95マスク以上の高性能マスク。隙間なく装着するための「フィットテスト」も重要です。
- 保護メガネ: 粘膜からの感染や刺激を防ぎます。
- 防護服: 作業服に付着した胞子を休憩室や外部へ持ち出さないよう、使い捨てのカバーオールを着用し、脱衣所(エアロック)を設けます。
病院工事におけるICRA(感染コントロールリスク評価)の分類
病院工事では、工事の規模と患者のリスクを掛け合わせて対策レベルを決定する「ICRA」という基準が用いられます。
| 工事の種類 | 患者リスク(低) | 患者リスク(高:免疫抑制) |
|---|---|---|
| クラスI(軽微) | 通常の清掃、軽微な点検 | 基本的な粉塵抑制 |
| クラスIII(中規模) | 負圧管理、HEPAろ過 | 厳重な封じ込め、エアロック |
| クラスIV(大規模) | 全方位の物理的遮断 | 最高レベルの負圧・換気管理 |
よくある質問(FAQ)
- Q: 胞子が飛散してしまった場合、どのような症状が出ますか?
- 患者さんの場合、急激な発熱、胸痛、呼吸困難が現れます。診断が遅れると治療が困難になるため、工事期間中にこれらの症状が出た場合は、直ちに真菌検査(β-Dグルカン測定など)が行われます。
- Q: 建設会社として最も注意すべき「落とし穴」は?
- 「資材の搬入・搬出」です。ゴミ出しのために養生を一時的に開けた瞬間、負圧が破れて胞子が流出することが多いため、二重扉(エアロック)の設置が強く推奨されます。
- Q: 2026年現在の最新技術はありますか?
- IoTを活用した「リアルタイム粉塵モニター」が普及しています。粉塵濃度が一定値を超えると管理者のスマホに通知が行き、即座に散水や換気の強化を行うことが可能です。
5. 最後に:建設と医療のパートナーシップが生む安全
病院建設におけるアスペルギルス症対策は、単なる工期やコストの管理を超えた「命を守るプロジェクト」です。
最新のHEPAフィルター付負圧装置を導入し、湿式作業を徹底し、物理的なバリアを築くこと。そして何より、現場で働く一人ひとりが「自分の行動が患者さんの安全に直結している」という意識を持つことが不可欠です。
建設業界と医療現場が手を取り合い、透明性の高いコミュニケーションを通じて対策を継続することで、安全で清潔な療養環境を維持することができます。この取り組みは、病院の信頼性を高めるだけでなく、建設業界全体のプロフェッショナリズムを向上させる重要なステップとなるでしょう。
私たちは今後も、進化し続けるテクノロジーと厳格な管理プロトコルを駆使し、感染リスクゼロを目指した建設環境の構築に努めていかなければなりません。



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